歯周病と聞いて、心臓や脳の病気を連想する人はまだ少ない。
歯茎が腫れる、出血する、口臭がする──多くの人にとって歯周病は「口の中の問題」であり、命に関わる病気とは別世界のものだろう。
だが近年、この常識が覆されつつある。歯周病は単なる歯科疾患ではなく、心筋梗塞、糖尿病、認知症といった全身疾患のリスクを高める「慢性炎症性疾患」として、世界の医学界で再定義が進んでいる。
東京科学大学の研究グループが2023年、注目すべき成果を発表した。代表的な歯周病菌ポルフィロモナス・ジンジバリスが産生する酵素「ジンジパイン」が、心筋細胞の自己修復機能を阻害するというものだ。この機能が妨げられると、心筋梗塞後の心機能回復が遅れる可能性がある。
さらに25年3月、広島大学の医科歯科連携チームがアメリカ心臓協会の機関誌に画期的な研究成果を発表した。歯周病菌が血流に乗って心臓の左心房に到達し、心房の線維化や不整脈(心房細動)の発症に関与することを、動物実験と臨床研究の両面から初めて証明した。
心臓手術時に切除された左心房の組織を調べたところ、歯周炎が重症な患者ほど左心房に感染している歯周病菌が多く、線維化も進行していた。
歯茎で起きている炎症が、物理的に心臓の構造を変えてしまう──この発見は従来の常識を大きく塗り替えた。
歯周病が進行すると、歯と歯茎の間にある「歯周ポケット」が深くなり、そこに細菌が繁殖する。炎症によって歯茎の防御機能が低下すると、細菌や炎症性物質が血液中に入り込みやすくなる。
歯磨きや食事などの日常的な刺激でも、細菌が血中に侵入する「菌血症」が起こり得る。
これが長期間にわたって繰り返されると、血管の内壁が慢性的に刺激され、動脈硬化が進行する。炎症性物質は血管壁にプラーク(脂肪の塊)を形成しやすくし、それが破裂すれば心筋梗塞や脳卒中を引き起こす。
つまり歯周病は、全身の血管を「炎症状態」に置き続ける火種となるのだ。
歯周病と糖尿病の関係は、この慢性炎症の影響を端的に示している。歯周病による炎症は糖の代謝を調節するインスリンの働きを弱め、血糖コントロールを困難にする。
一方、高血糖状態が続くと免疫機能が低下し、歯周病が悪化しやすくなる。両者は一方通行ではなく、互いを悪化させる「負のスパイラル」を形成する。
24年、大阪大学と東京医科歯科大学の研究グループがそれぞれ、糖尿病の集中治療で歯周病の炎症状態が改善することを報告。
歯周病治療が血糖値を下げるだけでなく、糖尿病治療が歯周病を改善する「双方向の治療効果」が実証された。
歯周病治療のために定期的に歯科を受診している患者は、受診していない患者に比べて人工透析に移行するリスクが32~44%低いことが明らかになった。
歯周病のケアが、糖尿病の重篤な合併症である腎症の進行を抑える可能性を示すエビデンスだ。